1984年に「日中友好九州青年の船」に参加し、県内外の事後活動に積極的に関わる中で、青年団などの仲間に触発され、地域活動に目覚める。
元来子どもが好きなこともあって1985年から「佐賀県ユースワーカー協会」で、キャンプファイヤーやレクリェーション指導など、青少年健全育成活動を一つの軸として取り組み、1992年から2年間、佐賀県青少年団体連絡協議会会長をすることなどにより、他の多くの団体と知り合う。
またそのご縁で、大規模のウォークラリー大会や働く障がい者の運動会、佐賀市青年の家青年サークル連絡協議会など、数多くのイベントや団体に関わることとなり、人的ネットワークが形成される。
そうした中、1986年から「地球市民の会」の各種国際交流を通じたむらおこし活動や国際協力活動に実行委員として関わり、これをもう一つの軸として取り組んでおり、その活動は日韓友好武雄市少年の船などに繋がる。
他にも地元の子供会のクリスマスパーティのレクリェーション担当などをしたり、中間支援組織の「さが市民活動サポートセンター」の理事や「夢の学校」の監事など、日ごろ無理のない範囲で活動をコツコツ続けてきた。
若い時は多くの団体の実践部隊としていろんな役割を担ってきたが、近年は、これまで培った経験や人的ネットワークを活かした、後継者育成や組織の持続可能な活動に軸足を移した活動を行っている。
具体的には、これまでの活動を通じて得た気づきや学び、感動を伝承するとともに、公務員だからこそ得意な県政や施策の情報提供や規程の作成、文章表現や監査面でのチェック、行政との付き合い方などを助言することで、NPOの経営支援や行政との協働の橋渡し役を担っている。
このように自分がこれまで関わってきた団体が行う運動により、多くの人と人とがつながり、磨き合うことで、その人たちが変わり、地域が世界が変わっていく。自分としては、こうした運動の一助を、その時々の身の丈に合った分、コツコツと息長く続けてきた分だけ貢献できたものと考える。
一方で、様々な分野の団体活動や異業種交流を通じて学んだ知識や技能、現場感覚、多角的な着眼点、人脈は、職場の業務でも大いに役立ってきた。
例えば、施策として実施する青少年向け研修の運営や県民の海外派遣、職場の懇談会の雰囲気づくりなどがそうであるし、特に幅広い人脈があることは、講師等の仲介をはじめ、新規事業に対する事前意識調査や各種団体との連携・協働など、多くの部署でのいい仕事に繋がった。特に、国際交流課や男女参画・県民協働課に所属した際は言うまでもない。
障がい者を雇用する経営者から相談があり始めた運動会は、多くの団体が共鳴し、知恵と資源が集まったからこそ実現できたもので、その思いが受けつがれたからこそ10年以上継続できたイベントとなった。
地域に飛び出せば、郷土を愛する異業種や異文化の人たちと知り合い、価値観の違いを受容することや、地域や個人が独自性、個性をしっかり持つ大切さなどを学ぶ。こうしたことを将来を担う青少年達をはじめ周囲の方に今後も伝えていきたい。