長女(S62生)が出産時の無酸素状態が原因で脳性まひとなり、現在でも寝たきりの重度重複障害者として授かったことが活動を始めるきっかけ。
障害者は幼児教育、義務教育、高等教育のすべての進学、そして卒業後の進路等人生の全ステージに壁があり、子の成長とともに壁を乗り越えようと活動。養護学校でPTA役員(男性は一人か二人)となり活動に拍車がかかる。大きな課題は、全国では8割近くで配車されている通学バスが佐賀県では配車されていないことや保護者控室がないのに医療的ケアの必要な児童の場合は母親が学校で待機していなくてはいけない問題だった。医療的ケア等の問題は行政の理解を得て解決。移動の問題は通学、卒後の様々な移動だけでなく高齢者等も使える公共交通の導入に向けて現在も積極的に取り組んでいる。卒後の行き先がない問題は、重度の障害があっても地域で生活できる拠点施設(スプリングひびき)を地域につくることで解消。
介護保険に比べ遅れてスタートした障害者自立支援制度が障害者の地域生活のためによりよいものとなるよう情報発信することを目的に障害者フォーラム(チャレンジドフォーラム)を開始し現在に至っている。
(1)金立養護学校PTA・保護者会長時代(平成9~15)には、学校内に障害児学童保育を行政の理解を得て開始。医療的ケアの導入も実現。
通学バス、医療的ケアの導入をめざし、所属団体の県肢体不自由児・者父母の会連合会(副会長(平成9~現在))を通じ、現場の声を行政・議会に届け、県議会に請願書を2本(医療的ケア・移送支援)提出、全会一致で可決。看護師による医療的ケアの導入は早期に実現。
・平成7年重度障害者小規模作業所開設。行政補助を受けるまでバザーで運営。その後、重度障害者のための拠点(生活介護、就労支援、居宅介護、GH)となる。
・チャレンジドフォーラムinさが実行委員会代表(平成16~現在)として唐津市で第1回大会(669名参加)を実施。以来毎年11月開催。財源は負担金と民間助成
・NPOをつくり障害福祉作業所の管理者研修、佐賀県主催バリアフリー映画祭等開催支援を実施。
(2)自助、共助、公助を基本スタンスとし、実績をもとに行政に訴え。
・学童保育は、県の教育施設を使い、行政(佐賀市、県)が事業を展開する全国的にも異例の取組み。
・医療的ケアは、導入の速さと規模で全国トップクラス。
・重度障害者GHは現在でも全国でまれ。
(3)学童保育、医療的ケアは、働く母親に不可欠で、県内全養護学校に普及。
・現場での活動を県障害福祉課での公務に活かし、重度GHを県重点施策として位置づけし、他の地域に3か所目完成。
・地域活動やフォーラムで得た情報を県の各所属の公務で活かし、先進事業企画。公営住宅福祉利用等。
(4)学童保育は保護者、行政、NPOで協議会をつくり協働で運営。初代会長。
・フォーラムは各界有志集い、行政とも協働し情報共有。
(5)学童、医療的ケア、障害者の地域拠点づくり、フォーラムは現在も継続。
拠点は社会福祉法人運営とし、理事等(平成14~)として現在も運営に関わる。