①平成13年に妻ががん死(享年35歳)。その後、年一度の遺族会では皆「ホスピスで最後を迎えられて本当に良かった」と口々に言う。ところがホスピス認知が進むにつれ、病院側が13しかない病室に入院させる患者の優先順位付けに苦悩する現状を知り、本会を設立。他の遺族はほとんど高齢者であり、自分が決意。県のがん対策推進計画策定委員として様々な提案を計画に盛り込ませた。全国がん政策サミットへの参加で、他県の患者会との情報交換や他県の好事例を秋田に伝えることが出来た。H19の全国がん患者大集会では東北地区実行委員長を務めた。
②叔父が病院で寝たきりの時、昔の秋田市の写真集を見せても、ベッドに縛られ見られなかった。スライドにして壁などに映せば見られると思い、叔父の死後、高齢者施設、病院等を回って見せる活動を始めた。(会長は別人)
③震災地支援活動を行うNPOへの県庁上司のむげな対応を契機に自分がうつになり半年間休職。その時この会に参加して少し元気になる。自分のうつ経験を活かそうとこの支援活動に参加した。
県庁内のHPにも本会の開催予定を掲示し、県職員のうつ予備軍の支援活動も行っている。
①(1)県議会議員に働きかけ、がん対策推進議員連盟を発足させ、その発議で、全国で11番目、東北では初めてのがん対策推進条例を制定させた。全国がん政策サミットに毎年参加し、がん対策のあるべき姿、がん患者の要望取りまとめの手法、他県の好事例、国、政治家等への働きかけの仕方など学んだ。また他県のがん患者会との情報交換にもつなげた。
(2)県内で初めてホスピスを増やす目的のがん患者会を発足。
(3)他県の好事例の本県への伝達、他県がん患者会への助言、応援等。具体的には青森県のがん関係シンポジウムで、対策、活動の遅れている青森県の行政、がん患者等に対し、隣県同士手を取り合い共にがん対策活動を進めようとエールを送った。
(4)県庁のがん対策推進チーム(室)と、患者側からの要望、他県がん対策の情報提供等で協働した。
(5)当会など5団体が参加した「秋田県がん患者団体連絡協議会」は今でも秋田のがん患者会の中心となって活動を継続している。
②(1)毎月1~2回、高齢者施設、病院等を訪問して活動を行っている。
(2)秋田県、いや全国でも初めて(?)の活動
③(1)初めて精神的な病を経験する人の駆け込み寺、やすらぎの場の提供
(5)過去5カ年ほど、月1回定期的に開催。
(その他)
・様々な経験(父の自殺、妻のがん死、母の自宅介護、PTA活動、子育て、うつ体験等)をしたことから、がん関係のみにとらわれず、様々な活動に参画。
・ただし、うつ再発の心配もあり、ストレスの多い「主催者」にはならず、他者が企画した前向きなイベント拍手や質問をして盛り上げる役割に徹している。
・別のNPO代表のストレス解消に朝のテニスに付き合い、コートや人数の確保を担って支援している。
・県職員である、県庁内部にいるという利点を活かし、「県庁内何でも相談人」的な活動、つまり仕事の分野以外の相談、仲介活動などを行っている。