[No. 141] 週末博物学者-ハタチの夢を形に-

普段は市役所で農政の仕事をしている応募者だが、週末は博物学者に変身。地域を駆けて生き物を調査し、そこで得た知識や経験を講演会や執筆物の形で地域に還元。学会やシンポジウム、自然観察教室といった個人では難しい事業は自身が役員を務める地元環境系NPOの仲間と開催。NPOとして市からの事業受託や共催事業の実績も。これらの活動で培った人脈を生かして、行政と地域の人材とのマッチングをワンストップで支援。

懸賞論文がきっかけで後に役員を務めるNPOに誘われ、高校時代に生き物調査の道へ。生涯の趣味にするべく大学で専門教育を受ける。会社員とNPOの二足のわらじを履いていたが、地元市役所へ3年前に転職。転職後も兼業許可を得てNPO活動を継続。

最初の飛び出し活動は、市が保管していたものの劣化し捨てられそうになっていた生物標本の修復。貴重なものが多数含まれていたため、市の担当課に働きかけNPOで簡易修復の後、最終的に地元大学での修復事業を実現してもらった。今にして思えば怖い物知らずの採用1年目職員だから出来た業。実績を認められ、2年目には市が実施した(財)自治総合センターの環境保全促進助成事業をNPOで受託。子供向けの野外教室や地域住民向けの自然観察会で講師として奔走。

現在は飛び出し活動を通じて知り合った方の依頼で、他自治体での講演会や野外教室の講師も務める。

印象的なエピソードは、イベントの参加申込先として市の広報誌に載せた個人携帯に、それと知らずに上司が参加申込をしてきたことと、生き物調査をしていた市内の無人島が、某テレビ局の番組で開拓されて近寄れなくなったこと。

(1)最大の成果は行政が地元の魅力を発見するきっかけを作ったこと。地元には有能な人材や魅力的な資源があったが、行政の認識は十分ではなかった。飛び出し活動の結果、市の他の部課から環境系事業についての相談を受けるようになり、自身の知識や人脈を活用して課題を解決したり、解決し得る人物や団体を紹介したりする形で貢献できるようになった。

(2)20歳の時、環境行政への提言を政策論文(市のコンクールで最優秀賞を戴いた)として市に提出し、在野の研究者と協働して自然環境を活かしたまちづくりを行うよう訴えた。市の職員となった今、かつての自身の提言を実現すべく、先駆けとなって地域に飛び出している。最終目標は自然環境を活かしたまちづくり構想の中核となる自然史博物館の創設。

(3)生き物に行政界はないため、他の自治体や他のNPOの依頼を受けることも多く、その際には活動範囲に制限のないNPOの肩書きが活きる。そこで知り合った方と後に本業の農政業務で関係する事も。「知」の拡大再生産を狙って、市民向けイベントは子供を対象にしたものを多く開催。参加者の子供の中から将来の自然を生かしたまちづくりの担い手が生まれてほしい。

(4)市とNPOで契約を結び、市有地に生き物保護のためのネットハウスを建設。NPOの活動費には市の委託事業費の他に県や民間企業からの補助金も活用。人手のかかる市民向けイベントの際には、自然分野を専攻する地元の大学生をNPOでボランティアスタッフとして雇用。スタッフの大学生が後にNPOへ入会したケースも出ている。

(5)「無償ボランティア頼りの社会貢献は続かない」が長年のNPO活動で身にしみたこと。NPOの事業ではボランティアスタッフにも出来る限り報酬を支給。自身も人事当局の理解により兼業許可を取得し、講師料や原稿料、印税など、活動の継続に必要な対価を得る仕組みを構築している。